December 31, 2012

spirograph

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December 30, 2012

In a Station of the Metro

Source: poetryfoundation.org via Don on Pinterest


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Listen.

Source: Uploaded by user via Don on Pinterest


投稿者 orangepeel : 09:45 PM | コメント (0)

Joseph Cornell, Collage for The Crystal Cage: Portrait of Berenice, 1943

Source: mythologyofblue.tumblr.com via Don on Pinterest


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December 29, 2012

It’s coffee time!!!

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from FACECUP via London's Best Coffee (‏@coffeelondon) on twitter

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L'ecume des jours #207

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La vie en rose


La vie en rose - Louis Armstrong

投稿者 orangepeel : 09:51 PM | コメント (0)

Frankenstein and the Mermaid

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from Retronaut via Retronaut‏ (@theretronaut) on twitter

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December 28, 2012

ephemera / Love

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© ephemera collection of orangepeel

vintage postcards.

投稿者 orangepeel : 09:57 PM | コメント (0)

December 27, 2012

ephemera / acrobatique

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© ephemera collection of orangepeel

acrobatique toy label.

投稿者 orangepeel : 10:58 PM | コメント (0)

L'ecume des jours #206

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December 26, 2012

ephemera / Herzlichen glückwunsch

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© ephemera collection of orangepeel

vintage postcards.

投稿者 orangepeel : 07:31 PM | コメント (0)

color swatches

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© photo by orangepeel, @ Brooks Brothers

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December 23, 2012

December 21, 2012

2013 CALENDAR ( information )

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© photo by orangepeel @ NADiff modern [ BunkamuraB1 ]



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© photo by orangepeel @ RAIN ON THE ROOF [ cafe ] 



クリスマスの連休がはじまりますね。
贈り物に、カレンダーはいかがですか。




★★★ 2013 hiromi suzuki illustration CALENDAR ・お取り扱いショップ ★★★


古書 猫額洞 

RAIN ON THE ROOF [ cafe ] 

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NADiff modern [ BunkamuraB1 ]



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渚十吾ニューアルバム"Songwriter Crusader"もお求めいただけます。

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December 20, 2012

Salon

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© photo by orangepeel

『本とのサロン』 @ 神田 竹尾見本帖本店 2F。
参加してまいりました。

「本とのサロン」メンバーは、青木英一氏、竹尾有一氏、高岡昌生氏、上島明子氏、宮後優子氏、上田宙氏、ほか。
製本、印刷、紙、デザイン、編集など、出版物の制作に携わ方々が各自おすすめの本を持ち寄り自由に話し合う、というサロンです。

上の写真は、1886年の活字(金属活字)見本。
表紙は、顔料をのせて型押しがほどこされています。
ていねいな手製の仕事に見入ってしまいました。

投稿者 orangepeel : 11:21 PM | コメント (0)

December 19, 2012

An Unfortunate Woman: A Journey

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『不運な女』 リチャード・ブローティガン 著 / 藤本和子 訳 (新潮社, 2005)

_____ サンフランシスコ、カナダ、バークレー、アラスカ、ハワイ、シカゴ…『アメリカの鱒釣り』から20年、47歳の孤独な男が、死んだ女友だちの不運に寄り添いながら旅をする。日本製のノートに書きつけられた、過ぎゆく時間をみつめる旅。84年のピストル自殺から長い時を経て、ひとり娘が遺品のなかから発見した宝石のような小品。ブローティガン最後の贈り物を、『鱒釣り』ほかの名訳で知られる藤本和子訳で。 _____
内容(「BOOK」データベースより)

「不運な女」とは、ガンと闘って世を去った友人か、埃まみれの古い家で縊死した女だろうか。
冒頭のどこか空疎なシーンに、不運が象徴されているのだろうか。

 ‘ホノルルの静かな交差点のど真ん中に、新品の女物の靴がひとつ転がっているのをわたしは発見した。革のダイヤモンドのごとく輝いていた茶色の靴だ。その靴が自動車事故の痕跡を意味する残片のひとつであるとか、そこをパレードが通っていったというような証拠はなかったから、それがそこに転がっているような、瞭然たる理由は想像できなかった。その靴にまつわる事情が知られることは決してないだろう。
 靴には相棒がいなかったことはもういっただろうか、いや、もちろんいってない。その靴はひとりぼっちで、孤独で、なんだか気味が悪いくらいだった。片方だけの靴を見つけ、もう片方がそのあたりにないと、ひとはなぜ落ち着きを失うのか。そして探す。もう片方はどこへいっちまった?このあたりのどこかに、きっとある。’
『不運な女』 (p.11)

あるいは、ギリシャ神話『アウリスのイーピゲネイア』に描かれる悲劇の王女だとしたら、
ブローティガンと父娘の葛藤のあった、アイアンシのことか。
いや、不運な女とは、旅をつづけ、体温に焦がれ、手探りでつかのまの恋をくりかえす流離人、
リチャード・ブローティガンの「心」そのものなのではないだろうか。
訳者あとがきに、友人トマス・マグエンの言葉がある。

 ‘親友だった、トマス・マグエンは「この魅力的な作品は非常におどけているが、とても感動的だ。引力の影響をうけないブローティガンの非凡な心の動き、するどいコミカルな洞察、まったく瑣末な場所や場面を描いて、それらに命をあたえる力が発揮されている。『不運な女』はもっとも独創的だった作家を、うずくような痛みと悲しみのなかにしのばせる」と書いた。ブローティガンは死ぬ前にマグエンに骨壺のような陶器をあずけていた。かれの娘アイアンシはそれに父親の骨灰をおさめ、いまもカリフォルニア州サンタ・ローザの自宅においている。’
「訳者あとがき」 (p.148-149)

私はいま、クリスマスソングでにぎわう笹塚駅前のハンバーガーショップでこれを読んでいる。
ここは故郷であり、旅先である。
ノスタルジーが、むこうの空にそびえる都庁の足下の路地にある。
かつて代々幡村の水路であった私の足下の路地に流れる。
ブローティガンの言葉が、落葉のように頁からこぼれおちる。

リチャード・ブローティガンは、クリークの作家だ。
道を見失った登山者のように、沢の行き先を想う。
それは、生の果てではなく、「生」そのものなのではないだろうか。

 ‘ほどなくクリークを流れて自己を表現することになっている雪を見ていたのだ。雪はいったいみずからの運命について、つまりメキシコ湾へ旅することを、わずかでも分かっているのだろうか。このクリークはこの先すぐにパイン・クリークになり、それからイエローストーンリヴァーの一部になり、やがてミズーリ川に合流する。そのあとはミシシッピー川とも関わりをもつことになり、ナチェズを通りすぎて流れていく。そしてやがてはクレオール料理のにおいが、すでに馴れ親しんだ水っぽい鼻の穴まで漂ってくることになる。そういうことを承知しているのか。’
『不運な女』 (p.139)

ブローティガン『東京モンタナ急行』のなかの「この川のごとき安き旅を」という散文をおもいだす。

‘ゆうべ、この南モンタナの牧場の家の台所の扉を叩くものがあった。ここはイエローストーン川の近くだが、川はやがてミズーリ河に合流し、それから先へ行くとミシシッピー河に合流して、その後とうとう終の住処メキシコ湾に注ぐのだが、それはまたなんと、ここの山々やこの台所の扉やゆうべの扉を叩く音から、はるか遠く離れていることか。’
『東京モンタナ急行』 リチャード・ブローティガン 著 / 藤本和子 訳 (晶文社, 1982)

そして、奇しくもまた、ノーマン・メイラーが『聖書物語』で、救いを《水》に擬えている。
偶然のフレーズを引いて、ひとまずの旅を終えることにする。

‘いまやわたしは、はっきりと思い出すことができた。少年のわたしは、学識深い長老たちに向ってこういっていたのだ。神様の言葉ははじめ水のなかに住んでいました。それはちょうどわたしたちの言葉を運ぶ息が、寒い冬の朝に白い雲のようになって口から出てくるのと同じなのです。でも、雲はまた雨も運んできます。だから神様の言葉も、わたしたちの息にふくまれる水のなかに住んでいるのです。だから、わたしたちは神様のものなのです。なぜなら、すべての水は神様のものなのですから。ちょうどすべての川が流れていって海にたどりつくように。’
『聖書物語』 ノーマン・メイラー 著 / 斎藤健一訳 (ハルキ文庫, 1997)




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December 18, 2012

L'ecume des jours #205

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December 14, 2012

Found in Translation

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『現代詩手帖』 2012年11月号 - 特集:詩にとってセクシュアリティとはなにか (思潮社, 2012)

他の一つのもの

アスパラガスの茂みが
午後のよごれた太陽の中へ飛びこむ
硝子で切りとられる茎
青い血が窓を流れる
その向ふ側で
ゼンマイのほぐれる音がする

— 左川ちか / 他の一つのもの

『現代詩手帖』 2012年12月号 - 現代詩年鑑2013を購入する機会に、
気になっていた10月号と11月号をまとめて取り寄せた。

11月号の特集は、「詩にとってセクシュアリティとはなにか」。
巻頭の対談、“左川ちかから手渡されるもの”は、ジェンダー論に終始していて、少々違和感を禁じえなかった。
左川ちかは、昭和初期北海道出身の夭逝した女性詩人、というより、北園克衛とともに活動した世界のモダニスト・ポエトという認識だったからだ。
POETRY FOUNDATIONでは、Chika Sagawa は、“one of the first female modernist poets in Japan”として紹介されている。

それをふまえた上で、現代詩手帖11月号、対談の藤井貞和氏の指摘に注目する。

 ‘左川ちかの第一詩集は遺稿集ですが、じつは生前に左川ちかの出した本が一冊あるそうですね。『全詩集』に見ると、ジェイムス・ジョイスの訳詩集『室楽』をだしている。「詩と詩論」や「文学」で、日本の近代詩を始めた書き手たちは、それこそ先ほどのフランスのモダニズムをはじめとして紹介をし、批評をしておりますけれども、左川ちかもその一人として、ジェイムス・ジョイスを翻訳するという、そういう翻訳者としての近代詩へのかかわり方というのを、ちゃんとやっている。女性だからといって詩ばかり書いているんじゃなくて、むしろ出発点はちゃんとした、いわば英文学やアメリカ文学、あるいはフランス文学と対決し、そして世界的な潮流の中で日本の詩を作ろうとしたとはっきり言えると思いました。’
『現代詩手帖』 2012年11月号 - 特集:詩にとってセクシュアリティとはなにか “左川ちかから手渡されるもの” (p.17)

 ‘もうひとつ、近代詩の始まりはいつであるか、口語自由詩になったのはいつからかということが話題になります。
(中略)
・・・そのときにやった方法は何かというと、散文詩にすることです。これはすごく正しいと思うんですよね。なぜかというと、それぞれの言語には固有のリズムがあります。だけど、詩を翻訳するとき、リズムは消えます。だから、詩を翻訳するために散文詩にするというのは、いろんな方法のある中で、ひとつの方法なんです。ところが、日本は西洋の詩を翻訳するときに、七五調にしてみたり、五七調にしてみたり、明治三十年代の終わりですけれども、上田敏の『海潮音』の、これは功罪ですね。上田敏を責める言い方になりますが、ちゃんと散文詩で翻訳しなければ、翻訳になっていないわけです。だって、リズムは移せないんだから。フランスの詩でも、イギリスの詩にしても、日本語に翻訳する場合には散文詩にするというのは正解ですよね。
 で、そこからさきが衝撃的なことなのですが、じつは左川ちかがそれをやっている。これは私に非常に衝撃的でした。しかも、『室楽』の訳者附記に、
 一、原詩の韻を放棄し、比較的正しい散文詩たらしめることにつとめた。
 二、従って各スタンザ毎に書き続けの形式を執った。
 三、テキストはエゴイスト版を使用した’
“左川ちかから手渡されるもの” (p.21)

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『現代詩手帖』 2012年10月号 - ニュートランスレーション――翻訳の詩学 (思潮社, 2012)

さて、そこで、10月号の特集:ニュートランスレーション――翻訳の詩学 にさかのぼり、
関口涼子氏の「詩人が翻訳家である十二の理由」に納得するのである。

以下、抜粋・省略にて引用。

‘‖召凌佑やってくれないから。
・・・詩というジャンルは、読者が少ない場合が多く、翻訳という行為を通して、最終的に国外にも潜在的な読者を獲得し、バランスをとっていこうという部分もあるのだろう。そのことによって、詩は他の文学ジャンルよりも、はるかに「グローバル」になっていることがある。
(中略)
 また、商業ベースに乗りにくいという弱点は、それを知っているが故に詩の出版社は版権に関してフレキシブルであるという利点も生み、そのことでいっそう、詩は「気軽に訳せる」、翻訳に対して軽やかな存在でいるということができている。

 ∨殘をすることで自分のテリトリーが広がるから。
 このパターンは、私が知る限り、アメリカの現代詩人が精力的に行っている。大学におけるクリエイティヴ・ライティングという制度の中で、そこに身を置く学生は、創作だけでなく、詩論も書け、詩史を教えることができ、そして何らかの言語から英語へ(または逆へ)の翻訳による外国詩の紹介ができる人材であることを求められる。
・・・特筆すべきなのは、アメリカ現代詩のインスティチューションが、これを、フランス現代詩やイタリア現代詩などに対してだけでなく、日本の現代詩や中国の現代詩など、あらゆる外国語の詩に対して行っているということだ。その結果、アメリカの現代詩界における外国語の詩の紹介は広く、またしばしば本質的な部分にも触れており、そしてそれが結果的にアメリカ現代詩そのものの強さをも作り出している。

 K殘することで、自分の詩が活性化されるから。
 翻訳はある意味で、「今までなかったくらい深く、また別様に読む行為なのだといえる。

 に殘することで救われる時があるから。
・・・表面的な理解しか得られない作品が、翻訳によって、受け入れ先の言葉の中であらたに読み直され、十全な生を得ることがある。国が違えば重要とされているテーマが変わり、作品の受容もまた変わる・・・・

 セ蹐聾生譴修里發里般接な関係を結んでいるから。
・・・「詩人」というよりは、「詩」そのものが、その本質の部分で、常に翻訳行為を必要としている。というのも、ある言語から他の言語へと作品が渡っていくときには、作品と言葉のリズム、シンタクス、語彙、文脈、韻律がX線照射をされ、解剖され、もみほぐされ、顕微鏡で観察され、しかるのも培養され、組み立て直され、再び新しい、しかし同じ生として息を吹き込まれていくからだ。

 詩は辺境にいるから。
・・・異なる言語の辺境同士が、ふと繋がってしまうことがある。翻訳はそのような辺境同士のつながりがごろごろころがっている場所を歩く行為だ。

 翻訳は不安定にするから。
・・・言葉との、自明ではない、安心しきってしまえない揺れる関係こそが、詩の創作の中で詩人が持たなければならない関係だ。

 翻訳は安定させるから。
・・・一つの言語とは別の、常に神経を目覚めさせておかなければならない安定だ。それがわたしたちを覚醒させる。

 翻訳は貧しくするから。
・・・言語に対する自分の「貧しさ」への意識が必要なのだ。貧しい言語の持ち主に甘んずる、ということではない。言語を安全にものにすることはできず、言語に対しては、母語に対してさえも、わたしたちは死ぬまで「貧しく」ありつづけること。その貧しさ、乏しさを引き受けながら、その中で、どれだけ十全に、一つ一つの言葉をできる限り「生かして」行くことができるのか。

 翻訳はうさんくさい行為だから。
・・・わたしたちとは何者だと考えているのか、そもそも母語とは何なのか、母語とは、何も考えず、安心しきってその中に安穏としていられる場所なのか、もしも、ある作品が言葉から言葉へと旅をしたとき、それが本物ではなくなるのであれば、「作品」の身体とはどこにあるのか。
 
 そもそも、全ての詩人は翻訳家だから。
・・・言葉の多様な層を困難と共に行き来し、その行き来を自分の詩の言葉としている作家は、広い意味で言葉と言葉との「翻訳」行為を行っている、と考えられるのではないか。
(中略)
 「全ての詩人はそれだけで翻訳家である」という呑気なことをいいたいわけではなく、いい換えれば、翻訳家でない詩人は詩人ではない。

 文学の中に翻訳があるのではなく、翻訳の中に文学があるから。
・・・幾つもの都市が重なり合っているかのように複雑で、一瞬たりとも同じ形を持たない空間の中に入り込みその隅々までも訪ねていくことが文学行為なのだとしたら、翻訳する、その行為そのものが詩作であり、文学行為であり、どんな言語の中にも存在する言葉の影、「言葉の谺」を聞き、その谺をできる限り他の耳に伝えていく行為であり、言葉の中に住まう、パラフレーズに抗する小石のような単語をその小石の形のまま届ける行為であり、その谺が詩であり、その小石が詩であって、それ以外にはあり得ない。’
『現代詩手帖』 2012年10月号 - ニュートランスレーション――翻訳の詩学 “詩人が翻訳家である十二の理由” (p.36-41)

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パウンド詩集 (思潮社〈海外詩文庫〉, 1998 )

地下鉄の停車場にて

亡霊 群集の中にあるさまざまな顔の、
花瓣 濡れた黒い枝の上の。

— エズラ・パウンド / 地下鉄の停車場にて


地下鉄のとある駅の中で

人ごみの中にそれらの顔また顔の出現、
濡れた、黒い大枝上の花びらまた花びら。

— エズラ・パウンド / 地下鉄のとある駅の中で


メトロの駅で

雑踏に浮かびでたこのいくつかの顔
濡れた黒い大枝にへばりついた花びら

— エズラ・パウンド / メトロの駅で

いずれも、海外詩文庫『パウンド詩集』に収められている、三人の詩人・翻訳家による “In a Station of the Metro”の日本語詩。
エズラ・パウンドは、北園克衛との交流があったことでも知られているイマジズム詩人である。


原詩は、以下である。

In a Station of the Metro

The apparition of these faces in the crowd;
Petals on a wet, black bough.

— Ezra Pound / In a Station of the Metro

夜の地下鉄の駅。物憂げな表情の群集が通過列車のヘッドランプにうかびあがる。
街は、雨。濡れたひとびとのかがやく頬は一瞬の花びらである。
エズラ・パウンドの英詩は、平易な言葉だからこそ、さまざまな物語を想像させる。
そして、日本語になった訳詩には、それぞれ絶望もあれば、そこはかとない希望もみえかくれしている。


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December 13, 2012

L'Homme de la pampa

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『火山を運ぶ男』 ジュール・シュペルヴィエル 著 / 嶋岡晨 訳 (月刊ペン社〈妖精文庫〉, 1980)

装丁:奥村靫正

_____ ... 南米の大草原(パンパ)をわがものとしている五十男、大地主(エスタンシエロ)のグイアナミルは、人生への倦怠をまぎらわせるため、人工的に火山を構築するが、新聞でたたかれる。生まれた国への愛想づかし。グアナミルは、火山を解体し、パリに運ぶことを思いつく。「未来」と名付けられていた火山は、気をきかして、自ら小さな雛形になり、グアナミルの旅行鞄にもぐりこむ。そうして、かれらはついにパリに着き、いよいよ大事業にとりかかかろうとするのだが・・・・・(あとは読んでのお楽しみ!)。
 〈火山〉とは、何だろうか。野生的で情熱的な人間、人間のなかの永遠の夢であり愛であろう。あらゆる現実を突き破り飛び越えて、生命の非現実的な力は、火を噴き、時間と空間の制約を無視して、どこまでも自由にみずからを主張し表現しつづける。それは、ポエジーそのものでもあった。 _____
『火山を運ぶ男』 解説 (p.187)

神保町古書店街の軒先ワゴンで、(まさに)幻の妖精文庫を廉価で手に入れたなかの一冊。

南米の大草原に退屈し人工火山をつくった男グアナミルは、「未来」と名付けたそれを鞄に、
はるかパリへと船路につくが、絵はがきのようなオペラ座や凱旋門やエッフェル塔にも退屈するのであった。
船上で出会ったうつくしい人魚の幻影をもとめて、パリの花街(仏蘭西でもそういうのかしら?)をさまようグアナミルは、滑稽であり、孤独である。
火山どころか、みずからが巨人化していく。
さみしさのかたわらに犬を連れるが、
‘左目に自分の憂愁を託し、右目には冒険心を委ねた’ (p.159) ため、スパニエルは盲目になってしまった。

ここで、火を噴く山につきものの“巨人”というキーワードに惹かれる。
グアナミルは「くたびれた伝説」と哂う。

‘「せめてドミノの札みたいに、国をかきまぜることができたら!」とリーヌはいった、羅針盤と鉛筆をつかって、テーブルの片隅で、位相を測りながら。「南米のパタゴニアを少し北の方に、グリーンランドは東の方に、ずらせましょう。南極と北極とに、キャベツ椰子の並木道を作るの。何百世紀もかけて、考えてもおそろしいほどの忍耐力をもってしても、川がすべておなじ源から流れ出て、正確におなじ場所で海に注ぎ、すがたを変えてひとつの海水になるなんて、許されていいことかしら。風景を新しいものに作り変えなくては!何度いなかを散歩しても、水のひろがりぐあいはこれでいい、などと思ったことはありませんわ。必要なのは、ラマルチーヌの『湖』なんですもの」’ (p.115)
と、人魚によく似たパリの女は、男を焦らしたのだった。

ところで、船上から大洋に消えた「足のついた」セイレーンは幻だったのか。

 ‘すると、人魚の色は、サフランいろから、ヴァレンシア産オレンジのいろに、「緑岬(カップ・ヴェール)」のエメラルドいろに、純粋なオパールのいろに、と変わった。
 いろが変わるたびに、船長とグアナミルは、懇願した。
「マドモアゼル。どうかそのままでいてください。それ以上おきれいになることは、ありますまい。とてもすてきですよ」
「完璧ですよ。天使の部分と悪魔の部分とが、切取り線を入れたままくっついてる、そんなぐあいに、ぴたりとはまってますよ」
 だが、少しずつ人魚は白くなった。以前からずっとそうだったかと思えるほど、すばらしい、自然な白さだ。’ (p.92)

いや、あれは現実で、それが“ポエジー”なのだ。


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December 12, 2012

Snow Signs

Source: poetryfoundation.org via Poetry on Pinterest




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December 11, 2012

Poets are always taking the weather so personally

observando.net via Poetry on Pinterest




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